2020.09.24 Thu.

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  今年の9.11、キャンドルジュン(以下、ジュン)さん率いるLOVE FOR NIPPONとみんな電力の協業「被災地応援でんき」のリリースが出された。
 初回のインタビューから、キャンドルを灯す行為が徐々に、自分のためから人のためになっていったこと。現地を巡りながらの、社会で起きている悲しみが多くの場合、人間にとっての自分ごとになっていないという気づき。そしてそれらが、自分のやるべきこと=「悲しみが起こった場所にたくさんの愛を」という行為に繋がっていった経緯が見えてきた。
 LOVE FOR NIPPON誕生のきっかけとなった3.11前年にはハイチの震災があり、そこに導いた若旦那MINMIという友人たちとの関係があり、ある意味ですべては必然的に起きてきたと言えるだろう。
 多くの日本人が知らずにかかってしまっているかもしれない「魔法」について、ジュンさんは続ける。
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広島の原爆ドームからNYのグランドゼロまで、悲しみの生まれる様々なところで灯されてきたキャンドル

ーだんだんと「LOVE FOR〜」の全貌が見えてきました。
ジュン その後アフガニスタンに行ったのも、日本がアメリカの報復攻撃を支援していたからです。自分の国がいかに、どうアメリカを支援するかという話をしている時に、当事者のことを考えた時、自分は「謝りに行かなくちゃ」と思ったんです。
 それは常に、「当事者意識でいこう」と決めていたことの結果でした。
 終戦記念日は毎年沖縄、広島、長崎などで灯していましたが、「やられたことは世界中の人たちに言いたがるけど、やったことには口を閉ざす傾向があるな」ということも感じるようになっていました。
 日本も隣国に酷いことをしてきたわけだし、そこは世界中の国がそうなんです。本当は両方同等に、情報として引き継いでいくべきじゃないかと思っています。
 そこで「終戦記念日に中国で灯す」こともやりました。キャンドルオデッセイという旅は、いつか「戦争とかテロを用いた争いを終わりにするまで止めない」ということを決めて、最終ゴールは「平和の火をいつか消したい」と設定できました。
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アフガニスタンにて

ー灯さなくても必要ない世の中になった時こそ、火を消せるということでしょうか?
ジュン 「原爆や戦争、核兵器による悲しみを訴える火」なのだから、「戦争とか核兵器がなくなったよ」という世界ができた時に消すべきじゃないかと。それを消したうえで、ちゃんとお礼をするというのが、正しい8月の広島、長崎や沖縄での過ごし方と思っています。
 僕たちはまだ、悲しみから学べていません。
 日本人だからこそ一番言えるはずの、「戦争も核兵器もやめようよ」というシンプルなことをできてない。
 それが故に、75年間毎年黒い服着て集まって悲しむだけという、「それじゃあ亡くなった方々を浮世におろしてくる作業になっちゃって、成仏させられてない」って思うんです。
 もう、「あなたたちの犠牲から学んで、世界から核兵器はなくなった」「時間はかかってしまったけれど、戦争という争い方もなくなった」。だから「安心して成仏してください。ありがとうございました」という感謝を捧げる日に変えて、みんなで喜びあえるお祭りにしたい。
 それが悲しみの終結であり、正しい喜びの再出発なんだと思うんです。
ーそういった想い、活動が「LOVE FOR NIPPON 」のベースにある。
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ジュン 悲しみの場所に行って火を灯す行為について、計算式で考えてみます。
 ある意味人為的な戦争とか、テロみたいな場所で悲しみが憎しみに変わってしまうのなら、悲しみが生まれた時にその場所にたくさんの愛が集まるクセをつけようと。
 そしてそれは人為的でない、震災のような自然災害の方が集まりやすいんじゃないかなと。
 以前新島でイベントをやっていたら思いっきり伊豆七島の地震があったり、新潟の中越地震の時もご縁があったんです。インディアンが言う「母なる大地の声を聞きましょう」みたいなことって、それまで「シャーマニックな人じゃないと聞こえない?」と思っていたんですが、現実的には「それ、日本じゃん」、「これこそ大地の声なんじゃないか」という解釈になって。
 それで一般的な、特別なシャーマニックなパワーじゃない、「災害地域に行く」というかたちの行為になっていきました。
 ウチの会社ELDNACSはその時に立ち上げて、それが2005年。社の理念として、「儲かってる会社が社会貢献をしよう」ではなく、「社会貢献を普通にする会社」という感覚で起業をしました。
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新潟にて

 LOVE FOR NIPPONは2011年からですが、きっかけは前年、ハイチの地震がありました。そこで若旦那とMINMIに「ハイチのサポートをしたい」ということを頼まれました。彼らには海外の被災地支援のノウハウはないわけで、当時自分はアフガンやカンボジア、中国で、世界の悲しみの場所を巡って火を灯して、国内の災害についても動き出していて、際限なく各地からいろいろな話がきてしまっている状況でした。
 一度は「自分にはもうすでに各地でやることがいっぱいで、、申し訳ないけど」と断っていたんですが、シンプルに「友だちが困ってるのに助けないって違うな」と思って、それは彼らにとっては音楽的ルーツだったりするものなんですが、自分にとって文脈のない災害であっても、やることにしたんです。
 その時に「LOVE FOR HAITI(ハイチ)」を立ち上げて一年間お金を集め、国内のハイチ支援団体に渡し、活動報告もしてもらって、渋谷のクラブでイベントもして、その流れの時に3.11が起きました。
 そこで、「LOVE FOR NIPPON」に切り替えたんです。
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ーこれは伺わねばと思っていたのですが、そういった多岐に渡る経験を重ね、それらを記憶していく中で、お身体の刺青や耳の飾りは増えていったのでしょうか?
ジュン 急にその話ですか、、
 基本的に、あまり見えない部分の刺青は18歳くらいから入れています。僕は不思議と、小さい時から、いつか時が来たら浮かび上がってくるものだと思っていたんです。
 成長魚じゃないですが、来るべき時がきたらそうなっていって、自分のやるべきことに対して向き合えるような状況がくるというか。
 物心ついた時から、自分が何をすべきで、何のために生まれてきたのかという問いがずっとある子どもでした。
ーなるほど、、親御さんは何をやられているんでしょう?
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ジュン 父は長野県の松本で、バイオリン職人です。母もそれを手伝っています。
 アメリカ横断の旅の頃には刺青は増えていて、それは自分自身の火ではない「平和の火」を灯す時からある程度の覚悟をしていましたが、ある種の「自分の中での戦いが始まるな」という気持ちの表れでもありました。
 最初の意気込み的な「自分はこういう人間になる」ということと、あとは、忘れたくないことが増えていくという、両軸の意味が込められています。自分は「ずっと成長している」と思っているので、40過ぎて「また増える」みたいなこともあって、御守り的な「身につけるもの」としての変化があるわけです。
 ここは簡単に言うと、若い時から「多数派が嫌い」ということなのかもしれません。
 「自分とは何ぞや?」みたいなことを抱えている時に、極力他の人とは違うところから自分を見い出すクセが強い。結局自分が選択してきた出会いや旅から得たものが一番のリアリティなので、それが身に付けるものや変化に繋がっていく感覚です。
ーみんな電力は電力会社でありもちろん一企業なんですが、社長には常に人が目をつけていないこと、自分たちならではのやるべきこと、楽しいことを探すブレない姿勢があり、それが社風に反映されています。
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ジュン そういう考え方って、これから増えていくんじゃないかなと思っていて。
 今自分が本当のゴールは、「1日でも戦争やテロを止めたよ」という実体験をいつかつくりたいということに設定していますが、もっと超リアルなところでは「被災地支援を職業にする」ということを、しっかししていかなきゃいけないと思っています。
ー被災地支援はCSRとかボランティアではないということ?
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ジュン 体験しないと気づきもないし、それに対しての対応を考えないと成長もない。「日本の自給自足率を高めていくべきだ」と考えていろいろ新たな企画を考えているんですが、自給自足以上にビジネスという側面で考えた時、世界の人たちは日本の何に一番お金を払って手に入れたいでしょうか。
 ざっくり「観光」とすれば、それは世界各地にも素敵な場所はあるわけで、日本にしかないのは「最高のものづくり」ということ。戦前も戦後も、ものをつくることに対しての日本のパワーはすごかったと思うんです。
 そして、戦争で酷いこともしたけど酷い目にもあって、世界唯一の被爆国かつ平和憲法をギフトされ、それを育む、もしくは守り続けてきた経験がある。しかも、「核の平和利用」と言われた原発も事故を起こして今そのただ中で様々な経験をしている。
 これだけの災害大国なわけで、「実は『人助け』みたいな部分が、ビジネスとして一番可能性があるんじゃないか?」と思っています。
 日本の平和憲法については世界が知っています。第2次世界大戦のことも学ばれているし、さらには原発事故やそのきっかけである自然災害の多さもある。たくさん経験したんだから、それをもっと日々日常的に、「防災」という日常とは別のモノではなく、日々の仕事や生活と同軸にあるところまで持っていければ、ものすごくハイブリッドなライフスタイルができる。
 そしてそれが、海外からも評価されるんじゃないかと思うんです。
 世界でも評価される商品として「平和」、「安心」、「安全」といったものが、今後の日本の本当の価値や商品になるんじゃないかって信じています。
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ジュンさんは、福島県浪江町の皆さんが暮らす仮設住宅を毎年訪問している

ー日本にはある意味、「災害のデパート」と言えるくらいの経験値が蓄積されている。
ジュン よく自分は「魔法」と呼んでるんですが、多くの日本人は幼稚園児くらいまではもっと自由な発想がよしとされているのが、小学校から一気に「大学行くのが当たり前」「当然、就職」みたいな魔法にかかってしまう。
 それは、それぞれのクリエイティビティよりも「普通はこうだよね」「こうするべき」みたいな、「多数派に席を置いておかないといけない」という「魔法」です。
 そこには戦前戦後の、大きな流れの中でかかってしまう「魔法」もありつつ、それが解けない方々は多い。さらに悲しみとか恐怖が加わると、そこに対しては誰もが冒険のリスクは嫌で、安パイな多数派の席取りになってしまう。それが政治にも反映されて、「強いところに票を入れておこう」みたいな傾向も強まるように感じています。
 だから、「いかにこの魔法を解いていくか」。
 つまり、この5年、10年というスパンよりは「100年、200年後の日本や地球ってどうなんだろう?」というスケールで物事を捉えたり、話せる人と仲良くしている方が楽しいんです。
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新潟中越地震でなくなった子どもの家にて、同級生たちと

ーそこも電気と重なる部分といいますか、切り替えていきなり環境が激変するとか、明確な変化が訪れるということでないけれども、未来を見据える中で、絶対に必要な行為という。
ジュン 「自給自足」と言った時に、誰もが食べ物を連想しがちです。でも、自給自足で食べ物を生産するのと同軸の「電気の生産」というものが、この取り組みの売りだと思っています。
そこが直結できると、想像以上に多くの人の「魔法」がとけるんじゃないかって。
 「原発反対」とか、放射能のことやその毒の部分を語ったところで全然とけなかった魔法が、わりと「どこの畑で誰々さんがつくった野菜なら安心じゃない?」みたいなことと同じように電気をのことが考えられるだけで、本当にとけるんじゃないかと思うんです。
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白と薄茶の2色、再生紙・アラベールで「被災地応援でんき」チラシを刷ってくださったSouGoさん。店舗や事務所に「置いてもいいよ」という方、ご連絡ください

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キャンドルジュン

FIELD ARTIST / CANDLE ARTIST

1994年、キャンドルの制作を始める。
「灯す場所」にこだわりキャンドルデコレーションというジャンルを確立、様々な空間演出を手掛ける。
2001年、原爆の残り火とされる「平和の火」を広島で灯してからは、悲しみの地を巡る旅「Candle Odyssey」と称し、N.Y.グラウンドゼロ、アフガニスタン、終戦記念日に中国チチハルにて火を灯す。
2011年、東日本大震災を受けて「LOVE FOR NIPPON」発足、被災地での支援活動を始める。月命日となる11日には、毎月、福島各地でキャンドルナイトを行い、3月にはフェスティバル「SONG OF THE EARTH FUKUSHIMA」を開催。
これまでのつながりから、支援活動は熊本や長野へと広がっている。


新しい「被災地支援のかたち=LOVE FOR NIPPONとみんな電力のコラボ」記事。最終回、10/1(木)の公開をお楽しみに

 

(取材:平井有太/協力:早川弥生)
2020.08.31 mon.


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