2020.09.17 Thu.

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白と薄茶の2色、再生紙・アラベールで「被災地応援でんき」チラシを刷ってくださったSouGoさん。店舗や事務所に「置いてもいいよ」という方、ご連絡ください

  ある日、キャンドルジュン(以下、ジュン)さんがみんな電力オフィスにやってきた。みんな電力の電気を使ってくださっていて、過去ENECTにも登場くださった、素敵な環境意識で経営される老舗印刷会社SouGo・北條社長のご紹介だった。
 もちろん、最初から何をしようかという話があったわけではない。「キャンドルに火を灯すアーティストで」、「3.11以降はずっと福島に通われている」という断片的な情報しかなかったところ、なんとみんでん社内に、長くジュンさんの被災地支援活動に帯同してきた社員がいることが判明。  どこかで、ジュンさんの自然災害が起きるたびに現地に赴く姿勢と、みんでんが創業時から起業の目的を「貧困の解決」と言ってきた姿勢の接点を見い出す作業が、そこからはじまった。
 今回、9.11に無事リリースを出すにまでいたった「被災地応援でんき」の根幹にあるもの。沈みゆく日本そのものを救うことまでが視野にある、新しい電気のあり方についてジュンさんに聞いた。
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ー「電気」について、ここまでご一緒してきてくださり、また、最初に聞いた時から、ピンとくる話でしたか?
ジュン 正直電気のことって、そもそも「お上のお仕事」みたいなイメージがあって、各地域で様々な複雑な関係性を生んでいるものという理解でした。
 それから、反原発アクションに関わらせてもらっていた時期もあり、鎌仲監督と仲良くさせてもらっていて、その立ち位置から日本の現状を教わったり、海外の状況についてもカジらせてもらってきた中では、一言でいうと「電気のことって難しいんだろうな」という捉え方でした。
 だから、今までそこまで自分で調べていくとか、掘っていくことについては、ある意味、特に3.11以降思考停止でいました。
 電力会社あれこれの会話そのものをしたくない、それよりも「原発事故後の福島をどうしよう」ということに集中したかったんです。逆に言うと、そこに蓋を閉めてきた部分も強かったと思います。
 でも、福島に通い続けて7、8年経って「さすがに電気のこともイロイロ変わっているだろうな」というタイミングで、みんな電力(以下、みんでん)のお話を聞いて「すごく素敵なシステムだな」と思いました。
ー当初からみんでんについては腑に落ちた。
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ジュン はい。
 もう一つ良かったのは、まず「自分の家から替えてみよう」ということができたので(笑)。「自分だったらどうなる?」、「こういうものって高いよね」みたいなイメージがあったので、実際にシミュレーションの金額を見た時に驚きました。
 野菜で無農薬とかオーガニックのものは金額が高いって印象があります。
 「いいもの」は、社会の仕組みがもっと「安くて」、「便利に」という方向の中で絶対何かを犠牲にしてきたわけです。すでにいろいろな犠牲の上で「安さ優先」、「速さ優先」という時代背景の中で生きてきて、「面倒臭いことをして、環境にもいいよ」ということはイコール、「高いんでしょう?」と思ってきました。
 でもそこで「あ、そうでもないんだ」というのがシミュレーション結果でした。そして、これはまわりの人に話す上でも「一番のキーワードとして機能するな」と。
 だから、ただ情報を聞くよりは、自分で自分の家の電気代シミュレーションをしてみて、実際に切り替えてみた結果として、リアリティが増したと思います。
ーみんでんとの取り組みは、「被災地応援でんき」というかたちに結実しました。どういった手応えでしょう?
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ジュン 今も九州の方の豪雨や、全国各地で災害が起きています。自分自身が実際に現地に行けていれば、もう少し可能性も広がるかなと思うんですが、コミュニケーションは実際に会ってこそということがあります。
 それから、これは電気に限らず、あまり実際自分の人生の中で「直接的なセールスをかける」ということがなかなかなかったので(笑)。
ーそれは「切り替えましょう」という?
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ジュン 被災地の皆さんへは、「電力の生産をしてみませんか?」というセールスです。
 「被災地応援でんき」は被災地域の電気を購入して応援というかたちですが、それは同時に被災地域での電気生産者もつくらなければいけません。
 災害地域には発災当時たくさんの支援や関心が集まります。「また元通りに」ということも大切ですが、支援の一貫で「農地で作物と電力をつくる」ことを支援活動の中で一緒に行えたら、きっと先々の自立を促すことにも繋がり、現実的な「『絆づくり』にもなるなぁ」と考えていました。
 ただ、いくつかの被災地で聞いてみて、こういったことのセールスのハードルの高さを実感しました。
 その壁をこれから超えるには、まだまだ時間が足りないのか、自分の集中力が足りないのか、という感覚ではあります。
ー電気のことがわかってきたし、説明もできるようになってきたけれど、「馴染んでいるか」という話になると、まだ試行錯誤な部分もある。
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ジュン 自分の中ではしっくりきていても、それを「セールスする」となると、対象の方々の置かれている現状をしっかりヒアリングしないと、何がベストなのかわからない。
 これは自分の中で、やはり「被災地支援」と似ています。相手の状況、その地域のルール、近隣地域との格差や軋轢など、様々な情報をまずインプットしてから正しいアウトプットをしていかないといけないと感じています。
 一番は、いろいろな諸問題が起きている時に、情報だけじゃなく、現場で人と触れ合い、現地の人たちからの情報を少しでも拾い上げないと、ということです。
 電力のことも、ただ「原発がどうこう」とか、それにまつわるあれこれの問題定義よりも数倍、その地域にある可能性に対して自分が具体的なアクションができることの方が大切です。前向きにアクションした結果としてリアルな問題点が見えてくるので、そうなればあとはどうクリアするかだけかなと思います。
   そう考えると、そろそろ計算式はできてくるはずなんです。
ー被災地にはいつ頃から、何のきっかけで巡るようになりましたか?
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ジュン 一番は、「平和の火」を灯した時がスタートラインです。
 それまでキャンドルは、自分のためにつくって自分のために灯す。そうすることがリアリティみたいなことで、始めたのは1994年頃になります。
 それが2001年、ダライ・ラマ法王の呼びかけで「聖なる音楽祭」が広島の宮島でひらかれました。その時に広島にある原爆の残り火「『平和の火』を灯してくれないか」というオファーをいただいて、そこで初めて「自分の火ではない火を灯す」という時、意識が変わりました。
 「社会と自分の関わり方」みたいなところで、それまではどちらかというと「自分自身がどうあるべきか」で、その「個人をどう出していくか」にこだわっていました。元からある社会の現象や歴史に自分が関わる時、「なんとなくじゃ嫌だ」と思っていたんです。
 平和の火を灯してから広島、長崎を巡って灯し、沖縄へ行き、ひいては北海道にはアイヌの歴史があります。
 日本を学んで、少しでも日本というものを自分の中で咀嚼して、プラス、「戦争や争いに対しての平和の火」。そこに、「自分が向き合い答えを持ち合わせないと」と思ったんです。
 それが、2001年からはじまった「キャンドルオデッセイ」という名前をつけた旅の始まりでした。
 旅の終点は原宿の「ロケット」というギャラリーだったんですが、そこで個展をするタイミングでアメリカの同時多発テロが起きました。
 自分的に、なまじ広島とか長崎での経験があったおかげで、「あの人たちはこのテロをどう思っているのかな」と。戦争体験や遺族の方々から伺った話から感じたことを表現しようという姿勢の先で、「この出来事に対してどう思うんだろう」ということで、また旅に出ました。
 当初は、「アメリカに行く」ということも決めていませんでした。
 よもや「NYへ灯しに行こう」なんて思ってなかったんですが、旅の結果、長崎の教会でキャンドルを灯した際に一人の女性から、「もしよかったら私の分までキャンドルをつくって、灯してきて欲しい」と言ってお金を託されました。
 それで結果として、2002年のアメリカ独立記念日前日に、NYで火を灯してきました。
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アメリカの旅、NYセントラルパークにて

ー広島、長崎、沖縄など、国内の辛い歴史を持つ場所を巡ってきた経験が、ご自身をNYにまで導いた。
ジュン 当時国内各地を灯してきたキャンドルを、ハリウッドランチマーケットさんがコンテナでロスまで送ってくれて、ミハラヤスヒロさんというデザイナーさんは具体的にお金をくれました。
 様々な人たちの協力のもと、ロスからNYまでの車でキャンドルを灯す旅をさせてもらったんです。結果、往復したんですが(笑)。
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 割と最初はアメリカン・インディアンの居住地域をまわりつつ、縁があったところに寄りつつ、30日以上かけてNYを目指し、独立記念日前夜から朝までグランウンドゼロで火を灯して、そこから4日かけて出発地点まで帰りました。
 旅の名前であるキャンドルオデッセイとして、しかし結局「火を灯したからといって平和にはならない」。誰もがそう思うだろうと思います。とはいえ、起きた悲しみの現状を、よりリアルに知ることから見える答えがあるんです。
 世界では「やられたらやり返す」的なことが言われたり、実際それが行われたりもしています。
 でも、自分が出会ってきた長崎、広島の人たちは「私たちと同じような悲しみの家族が生まれてしまったことが悲しい」、「あの人たちの分まで祈りたい」と言いました。自分が授かったお金にはそういった慈愛の気持ちが込められていて、そのことを「もっと世の人が知るべきだ」と思ったんです。
 でも、だからといって、いきなり広島、長崎で灯したキャンドルをNYに持ってきても意味合いが変わってしまう気がしました。だから、アメリカでもなるべく様々な場所で灯すということをして、同時に友人がインタビューもとって、話も聞いていきました。
 すると、ほとんどの人たちが「アフガニスタンへの報復攻撃には反対」、「あれはバカなブッシュと一部の白人連中がやっている」と、意外とまともな意見を持っていました。でもそれに安心した反面、同時に「みんな誰かのせいにするんだな」、「誰も当事者意識がないな」ということを実感しました。被害にあった人たちは完全な当事者であって、みんながその方々の気持ちや、その後の状況を知らな過ぎると思ったんです。
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 それがないから、悲しみが起きた時にそれが憎しみ変わり、また新たな争いを生んでしまう。
 その計算式を繰り返すのではなく、悲しみが起きた時こそ喜びや愛情をたくさん集めれば、それが憎しみには変わらないんじゃないか。
 そうなれば、「新たな争いは生まれないんじゃないか」という計算式を意識するようになりました。
 そしてその結果、「悲しみが起こった場所にたくさんの愛を」みたいな行為は、あながち本気で間違ってないんじゃないかなと思ったんです。
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キャンドルジュン

FIELD ARTIST / CANDLE ARTIST

1994年、キャンドルの制作を始める。
「灯す場所」にこだわりキャンドルデコレーションというジャンルを確立、様々な空間演出を手掛ける。
2001年、原爆の残り火とされる「平和の火」を広島で灯してからは、悲しみの地を巡る旅「Candle Odyssey」と称し、N.Y.グラウンドゼロ、アフガニスタン、終戦記念日に中国チチハルにて火を灯す。
2011年、東日本大震災を受けて「LOVE FOR NIPPON」発足、被災地での支援活動を始める。月命日となる11日には、毎月、福島各地でキャンドルナイトを行い、3月にはフェスティバル「SONG OF THE EARTH FUKUSHIMA」を開催。
これまでのつながりから、支援活動は熊本や長野へと広がっている。


新しい「被災地支援のかたち=LOVE FOR NIPPONとみんな電力のコラボ」記事。次回、24日(木)の公開をお楽しみに

 

(取材:平井有太/協力:早川弥生)
2020.08.31 mon.


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