2021.08.22 Sun.

はじめに
  ”グラミン銀行”とは、1983年にバングラデシュでムハマド・ユヌス博士が設立した、マイクロファイナンスを実装し、貧困救済、格差是正、自立支援を実現する世界的な機関。ビジネスを通じて社会課題を解決するソーシャルビジネスを提唱し、2006年にはユヌス博士とグラミン銀行がノーベル平和賞を受賞した。その活動は先進国にもひろがり、2018年には一般社団法人グラミン日本が設立され、日本での活動もスタートしている。
 みんな電力が自らを「ソーシャルエネルギーカンパニー」と呼ぶのは、まさにユヌス博士の影響によるところが大きい。2020年には、グラミン日本との協同プロジェクト「グラミンでんき」を発足。すでに、応援金を通じてシングルマザーや生活に困窮する人々を支援する取り組みがはじまっている。
 本記事はグラミン日本で就労支援を受けているメンバーから、その取り組みをレポートいただく、初の試みである。
自己紹介
 はじめまして、甲斐 三南子(かい みなこ)と申します。
私は難病を抱えながら、家族と暮らす30代女性です。
 私は大学4年次に、ある2つの病気を発症しました。
1つは、全身の筋肉に炎症が起きる病気で、もう1つは脳を含めた体全体に炎症が起きる病気。
それらは原因が明確でないため治療法が確立しておらず、長期の療養を必要とする疾患として厚生労働省が指定する難病でした。
 まさか自分が「難病患者」になり、それは「一生治らない」なんて。
状況も飲み込めないまま、診断されてすぐに、人生で初めての入院生活と劇薬を多量に用いる投薬治療がはじまりました。
右も左もわからない不安の中、ただ、とても怖かったことを鮮明に覚えています。
 発病のため、大学4年次の6月から半年間は、通学ができませんでした。
本来ならゼミの出席日数の関係で卒業は許されないところ、教授や大学職員の方々のご厚意で、特例的に留年することなく大学を卒業できました。
 ところが、そんな私を待っていたのは、終わりの見えない体調不良と副作用、そして就職に不利な「既卒」という身分でした。
大学卒業後は通算6年間、契約社員や派遣社員として働き、非正規雇用ゆえの貧困を身に染みて感じてきました。
その後、2015年に結婚して専業主婦になりました。
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〜長く暗いトンネルから抜け出せない日々〜
「どうして私だけこんなに落ちぶれてしまったんだろう」
 就労支援を受ける前の私は、友達のように安定した華々しいキャリアがないことにコンプレックスを抱いてきました。
社会人として誇れる実績がないぶん、過去の栄光にすがるように、学生時代へ思いを馳せることが多くありました。
また一方で、同年代の人たちよりも健康面で不利なことは重々自覚しています。
キャリアを手に入れるためには同じ働き方を求められ、無理し続けなければならないのかと、やるせなさを抱えていたのも事実です。
名称未設定のデザイン (3)
 結婚後のパートの面接でも、「なぜ独身時代に正社員として働かなかったのですか?」と聞かれては不採用。
その都度責められているようで、居心地の悪さを感じてきました。
「正社員を目指すものの、病状に左右され叶わなかった」と正直に話せばいいのですが、面接の場で自分から持病の話はしたくありません。
でもその話をしないと、まるで何も考えず生きてきたと面接官の方から思われそうで、もどかしく悔しい気持ちでした。
 「私は大学時代、学内で上位5%の成績優秀者として表彰され、大学からお金を頂くほど頑張っていたのに。
何のスキルもなく、正社員としての職歴もなく、今後誰が私を雇ってくれるんだろう、、」
 思えば長い間、私の中で、時は止まったままでした。
「何がいけなかったんだろう」と、病的とも言えるほど強い自責の念に取りつかれ、思考は後ろ向きになっていました。
理想とかけ離れた現状に対して納得できる理由を探すべく、いつまでも自分の人生にダメ出し続けていたのです。
 そうした葛藤に加え、金銭面や生活面で負担をかけていることで家族に対して申し訳なく、肩身が狭く感じる気持ちもずっとありました。
⑤甲斐三南子
 さまざまな想いと焦燥感を抱きながら過ぎゆく日々の中、私は今回のグラミン日本の就労支援プログラムに出会ったのです。
お話を最初にいただいた時、「お金を貰いながら、学べるなんてすごい!」と感激しました。
 「グラミン」という語感から「プログラミングを学ぶのかな?」くらいに考え、せっかくの機会だから、苦手分野でも精一杯頑張ろうと思っていました。
蓋を開けてみると、自分が好きなライティングの講座で、とても嬉しかったです。
 就労支援を受けられることは、間違いなくありがたいことでした。
一方で、自分が支援を必要とする「支援対象者である」という事実には、看過できない違和感を感じていました。
 あれは、まだ働いていた20代半ばの独身時代。
毎日の通勤が辛く、初めて「内部疾患者であることを表明するヘルプマーク」を鞄につけて乗車し、座席を譲ってもらった際のこと。
これはあの時の「自分はもう、席を譲られる側の人間なんだ」と、視界がにじんだ時と同じ種類の感情なのだと思います。
「きちんとしてこなかったから、見知らぬ方々から支援を受けるような身分になったんだ!」と、私の中で、なけなしのプライドが悲鳴をあげていました。
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グラミン日本で手にした人間関係
「この温かく居心地のいい環境はなんだろう?」
 グラミン日本では、5人1組のチームとして就労支援を受けることが前提となっています。
境遇が近いメンバー同士で、これまでの人生を振り返って夢を語り合い、課題提出に向けて切磋琢磨し合います。
それがこの就労支援プログラムの特徴であり、最大の強みです。
 緊張の中で迎えた初日、私は他の4人のチームメンバーと出会いました。
そこで一番最初の課題として、私たちはそれぞれの人生について語り合いました。
 初対面の赤の他人と身の上話をするなんて、普通はあまり経験しないことだと思います。
ところがはじまってみると、なにか自分の居場所を見つけたような、安心感のようなものを覚えました。
 これまで一人で抱えてきた重荷について、話をしていい場を与えられたことで、気が緩んだのかもしれません。
ずっと辛かったから、仲間の話に自分を重ねて、お互いに心が震えたのかもしれません。
中には、相手の話に共感して涙するメンバーもいました。
 「どうやったらそんなことが乗り越えられるんだろう?」
壮絶という言葉さえ浮かんで来るような体験談を耳にし、私は疑問に思わずにはいられませんでした。
それなのに彼女たちの生き様はとても真っ直ぐで、気づけば、尊敬の念を抱いていました。
私たちの距離はこの時ぐっと縮まったのです。
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 「人は置かれた環境で左右される」と言います。
グラミン日本では、チームのメンバーも支援してくださるサポーターの方々も、私を大切な一人の人間として扱ってくれました。
心を込めて私の話を聞いてくれ、頑張りを評価し、寄り添ってくれました。
 この出会いを通して、胸に抱えていた痛みが癒され、自分も期待されるべき価値ある一人の人間なのだと思えたのです。

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ライティングスキルを学んで
「私にも、できる仕事があるのかもしれない」
 講座の中では、ものすごく沢山課題を書き上げ、毎週ヒーヒー言ってきました。
そして以前の自分と比べると、格段に伝わりやすい文章が書けるようになったと思っています。
また、課題でライティングスキルを磨くのと並行して、フリーランスとしての仕事のはじめ方も学びました。
 グラミン日本とタッグを組んで、就労支援をしてくださった株式会社ランサーズは、フリーランスとクライアントをつなぐ会社です。
ランサーズを通して、私は実際のクラアントから仕事を発注していただけるようになりました。
依頼を受けるには、自分の長所をアピールし、数いるライバルの中から選んでもらわなければなりません。
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 もともと恥ずかしがり屋で引っ込み思案な私が、このように能動的に仕事を取れるようになったことは驚くほど大きな変化でした。
 今回の就労支援を受ける際に決めた目標があります。
それは一番に手を挙げることです。
どんなに怖くても自信がなくても、そうしようと決めました。
この心がけから、挑戦していく自分に成長できたのだと思います。
フリーランスとして新たな扉を開く
「自分が好きになり、私に優しい働き方が見えてきた」
 グラミン日本の就労支援プログラムは終わりを迎えました。
グラミン日本が私に価値を見出して育ててくれたことで、受講前の毎日からは想像もできないほど色々なことができるようになりました。
まさか自分が、企業経営者の方々に取材をしたり、求人広告を代筆したりするなんて!
 一生懸命に案件をこなすと、クライアントが喜んでくださり、泣きそうになります。
自分が好きな「文字を書くこと」で、自己実現と他者貢献ができ、とてもやりがいを感じています。
 フリーライターになるなんて、想像したこともありませんでした。
なにか特別な選ばれた人たちにしかそういった仕事はできないと、漠然と思っていたからです。
 私の中で、正社員への憧れが消えることはありません。
フリーランスとしての働き方はすべてが自己責任となるため、正直不安もあります。
しかし、自分でペースを調整できるので、私の身体に合った働き方だと実感しています。
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 気づけば、友だちのようにきちんとしたキャリアがないことを嘆いていた間は、自分を軸にせず世間を軸にして物事を考えていました。
そのため、一般的な働き方に合わない自分は落ちこぼれだと悲観的になっていました。
 でも、今回のプログラムを通して、働き方に対する視野が大きく広がりました。
体が弱いことも含めて私は私であり、そんな自分を軸にした「私に優しい働き方」をしてもいいのではないか、と意識が変わったのです。
 グラミン日本の就労支援プログラムは私に、気持ちの面でもスキルの面でも大きな変化をもたらしてくれました。
気持ちに寄り添うだけなら、カウンセラーの方がいたかもしれません。
スキルを学ぶだけなら、独学や他の就労支援でも身についたと思います。
 でも、グラミン日本はその両方の側面から私を救ってくれました。
今後はご恩を返していけるように学びを活かし、仕事を自らつくり出せる人となって活躍してまいります。
 そしていつかは、私と同じように自信が持てず、社会復帰を難しく感じている女性たちのために、寄り添い、支援をする立場になれたらと思っています。
 ▼グラミン日本を通して支援をしたい、支援を受けたい方はこちらのリンクから▼
グラミン日本:https://grameen.jp/
▼みんな電力×グラミン日本の活動はこちらのリンクから▼
グラミンでんき:https://minden.co.jp/personal/grameen/
▼グラミン創始者ムハマド・ユヌス × みんな電力大石英司対談はこちらの記事から▼
ムハマド・ユヌス × 大石英司|世界を治す具体策:https://enect.jp/pioneer/professoryunus-01/

 

甲斐さんの記事、いかがでしたでしょうか。
みんな電力はグラミン日本の取り組みに賛同し、「グラミンでんき」を通じて今後も協業を続けていきます

 

(構成:村松、廣瀬、平井)
2021.8.12 thu.


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