2018.04.01 Sun.

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  「銀座ミツバチプロジェクト=銀ぱち」について、銀ぱち理事長/紙パルプ会館専務取締役・田中淳夫氏に伺った第2回。
 たまたま飼うことになった蜂が繋げてくれた地域の縁、教えてくれた銀座という環境の豊かさ、地方に増える限界集落の現実と本来の魅力に、高まるばかりの海外メディアからの興味と注目。「中央と地方」の違いが語られることは多いが、銀座を一つの地域と考えた時、むしろその方法論には、あらゆる地域の活性化や新しい取り組みとも根本で通じることがないだろうか。
 江戸時代から消費するだけだった銀座の街がハチミツをつくるようになり、さらには芋焼酎をつくって売るようにもなる。
 その流れの中で、銀ぱちが環境や地域と直結するエネルギーを考え、みんな電力と出会い、電気の切り替えを実施したのは、ある意味必然だったのかもしれない。
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ー日本が誇る「銀座」という地域を考え、その先で辿り着いたのが「ミツバチ」。
田中 街の皆さんは、銀座に対する想いがとても強いわけです。その中で「銀座を利用している」とか「売名行為ではないか」等指摘されたり、「『安心・安全な銀座』を最重要と考えているのに街中でミツバチを飼うのか?」と思われたりしないか心配しました。
 だからこそ、銀座の皆さんに「ミツバチを飼おうと思います」と尋ねていったんです。すると、皆さんから実際「止めて欲しい」と言われるかと思ったら、役員をしている京橋消防署からは署長達が寸志を持って駆け付けてくださったり、も組の組頭が「面白い」と訪ねて来てくれたりと、多くの皆さんに応援頂いたのです。
 松坂屋さんの再開発でも多くの議論があったように、ただ新しい開発を否定したりするのでなく、社会はどの方向に行くのかなど皆さん考えているのですね。こうしてミツバチという生き物が銀座の街に受け入れられていって、しかも「ハチミツがたくさん採れる」ということが、多くの皆さんの気づきにもなったんだと思います。
 銀座は江戸時代から400年消費するだけの街でしたが、ハチミツと言う天然のものが採れ、さらにはそのハチミツを「銀座の技」で様々な形にしていただく。実は、スタート時に銀座以外の“星”がついている有名シェフからも「使わせて」という話が有りました。でも、やっぱり銀座の皆さんに愛されないと続かないと思い、銀座に来なければ召し上がれないと言うコンセプトにしました。「まずは銀座から発信しよう」という事で考えました。
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 また、銀座でミツバチと言う話題が広がるにつれて、多くの見学者が訪ねてくるようになりました。毎日様々な方が訪ねてくると仕事にならないので、見学会を決めて案内しようとなりました。でも、折角だから見学会の時に子供たちにミツバチの絵を描いて貰おうとか、JAZZなどの音楽会もしようとか、そして、どうせなら地方の生産者さん達を呼んでマルシェやフォーラムも開催しようとなり、発展したのが「ファームエイド銀座」と言うイベントです。
 年に数回ですが、毎回沢山のボランティアに支えられて開催しています。都会の消費者と生産者が直接「顔の見える関係」が出来てきて今では10年を超えました。
 こうした関係が、震災の時はそれこそ被災地から様々な声が届き、全国のミツバチ仲間が現地へ沢山の支援物資を送ることができました。
 その後のファームエイドでも、福島県の須賀川市や福島市、宮城県気仙沼市といった被災地の方々と地域がどう復興するのかなど様々な議論を重ねました。
 被災地ばかりでなく、例えば全国様々な場所で「放置竹林」が問題になっていますが、鹿児島県では竹の紙をつくったり、大分県では竹を切ったろうそくで何十万人が集まるお祭りを開催したり、栃木県の方では竹を発酵させて牛に食べさせたり堆肥にしたりと、各地域が竹を活かすためにどのように工夫されているかなどの事例紹介するフォーラムもやっています。これを聞いていた学生が、「竹がないと笑えない」と言いだしました。確かに「笑う」は竹かんむりです。私たちの身近に有った竹が今は悪者になっているが、これを活かす工夫が欠けていたんだと気づかされもしました。
 全国には様々な課題があって、それを官僚や企業の友人たちも含めて、一緒に考えて実践していく、こうした「ファームエイド銀座」というイベントを通じて、いつの間にか全国の様々な生産者とのネットワークができてしまいました。
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 一方で、銀座の皆さんとは、蜂蜜を採るだけでなくミツバチ達の為に花を植えましょうと声をかけました。
 途端に皆さんが窓辺に花を育ててくれるようになり、ある出版社は「銀座に花を植えたらそこにミツバチが来た」と教科書で取り上げてくれる事例も出てきました。
 地元中央区では以前から緑被率を上げるということで、積極的に屋上緑化を広げようとしていて将来的には壁面緑化まで考える方針でした。そこで、私たち銀ぱちとセットで広げていこうという展開になってきました。
 しかし、誰も上がらない屋上に助成金で緑化ができても、その後維持する為に経費がかさむだけです。それこそいくつかは銀座の耕作放棄地になっていました。せっかく社会のためにつくったインフラを活かす方法はないかと考えました。
 そこで、まず管理費を少しでも浮かすために地方の方々から無償で苗をいただこうと考えて、先ほどの全国の生産者との縁が、屋上ビーガーデンの運営にも活きてきました。
 例えば新潟からは茶豆の苗を1000ポット以上いただいたり、福島からはアサカノナタネの菜の花の苗を1500ポットもいただいて、銀座のママたちが着物姿で農作業がすることでメディアに出たりして、徐々に取り組みも増えました。先月は福井の水仙を収穫して福井の美味しいものを食べ、お酒を呑みました。
 また、大分県竹田市の首藤市長が採ったかぼすと徳島県阿南市の岩浅市長が採ったすだちは、屋上で秋刀魚を焼いて、「どちらをかけるか決闘しよう」等と、だんだん手が込んできて、そこにはゆるキャラも来たりするわけです。
ー聞いてるだけで楽しそうです。
田中 熊本では八代のはちべえトマトをくまモンと一緒に収穫し、それを築地の市場であるレストランが最高値で落札するとか、ドラマがどんどん生まれてきたのです。
 今まで誰も見向きもしなかった「屋上」という場所にミツバチが来てから、急に賑やかになって様々な人が集うようになり、更にはミツバチの蜜源として花が植えられ、それが「環境」という取り組みだけじゃない、都市農村交流やビジネスマッチング、新商品開発の現場にも発展してきました。
 この様なミツバチを通して人が行き来する一つの環境のスタイルができてきたのです。銀座も一つの地域として、地方にある限界集落とも繋がるようになりました。秋田県の大館市の山田集落は学校もなくなって行き止まりの集落だから「もう、自分たちが消えても誰にも気づかれない」ということで、県外から人に来てもらえるように原木舞茸のオーナー制度なんかを始めました。これを秋田県庁の元気ムラ支援室が私たちに紹介して、この舞茸を銀座の屋上でも育てたんです。というか、彼らはすごく元気で、ここに来てどんどん設置して帰っちゃった。その後は定期的に私の携帯が鳴って、「ちゃんと水やってるか?」とくるんです。
ー東京の、しかも銀座の真ん中に、農業の新しい可能性を生み出している。
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田中 それにしたって、実情は「管理費をどうする」といった、苦肉の策の結果です。
 ハチミツが採れて、本来「消費するだけ」だった銀座の街で商品ができ、そこには食の人間国宝や世界チャンピオンのバーテンダーといった「一流の技」という資源があった。更にはクラブのママたちや、新橋の芸者さんたちだって他の街にはない貴重な存在です。屋上を通して、この皆さんたちが繋がってきたのです。
 新橋の芸者さんたちには、検番の屋上で被災地須賀川の「夢の香」という酒米を育ててもらって、それを「お正月の髪飾り」にしていただきました。ということで、毎年5月開催・新橋演舞場での「東をどり」では関わったお酒を販売いただき、それこそ銀座ならではの展開です。
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 こうしてそこここの各地域の皆さんとのご縁を繋いでいくということが、できてしまいました。
 もう、それも12年目が終わり今年の春からは13年目となります。昨年は春先から7月まで雨が少なかったので銀座のハチミツもよく採れて、1.6トン採れました。3年前から農業生産法人銀座ミツバチでは、三菱地所さんとも組んでいて、大手町丸の内有楽町の活性化という事で丸の内内でもハチミツが500キロ採って、合わせて2.1トン。これは合わせて国内生産量の0.07%になります。
ーすごいことです。
田中 銀座やその周辺にそれだけ豊かな自然環境があったということです。しかし、一方でよく地方に招かれて指導に伺いますが、ハチミツがなかなか採れない地域が多い。米どころは夏場に農薬を撒くとミツバチが生きられないとか、山は杉や檜で覆われて蜜源がない等、実態の見えにくい日本の姿がミツバチを通して見えてきました。
 それから、多くの方々に「ミツバチを飼ってハチミツを採るだけじゃなくて、一緒に緑も増やしましょう」というメッセージもアドバイスしております。
 こうした活動が東京では渋谷は東急、赤坂はTBS、日本橋は三越本店、中延商店街、多摩センター、大宮、鎌倉の建長寺等々、先月も練馬の江古田ミツバチ・プロジェクトで講演させていただきましたが、ここは武蔵大学の屋上が活動場所です。練馬の一品“ネリコレ”が話題になっています。
 全国に目を向けると北海道の札幌は大通公園から九州の鹿児島は天文館、名古屋は名古屋学院大学と愛知商業こ高大連携が始まり、沖縄では首里城に加え、北部の世界自然遺産に登録を目指す国頭村でも「やんばるの森でハチミツを開発したい」と相談があり行ってきました。
 今や国内でミツバチ・プロジェクトが100か所以上に広がったと聞いております。その中でも先ほどの高校や大学などで養蜂が盛んになってきました。その目的が、地域で元気がない空き店舗や耕作放棄地の活性化など。それぞれの地域の課題を養蜂と合わせて目的にしています。
 ソウルでは明洞を含めて14ヶ所でプロジェクトが始まり、先日もソウル・アーバン・ビーズ・プロジェクトの皆さんが訪ねてきました。台北でもミツバチ・プロジェクトが始まったと聞いておりますが、台湾からは毎年生産性本部の経営者の皆さんが30名ほど視察に来られます。
 視察や見学は年に1000人を超えています。取材も年間100本以上来るのですが、この1割は海外から受けるようになってきました。例えばCNNやドイツ国営放送、フランスのテレビですとか中東のアルジャジーラやアフリカのテレビなども。BBCは昨年の桜の頃を含めて過去4回ほど取材を受けました。最近一番多いのが韓国や台湾などのアジアのメディアです。こうした効果からか、今や国内だけでなく海外のミツバチ・プロジェクトも出てきたということです。
 こんなことを「12年前に想像できたか?」と言うと、正直まったく考え及びませんでした。
 ただ「環境」ということですと、トンボや鳥、蛍等々、その象徴はそれぞれあるかと思います。でもミツバチの場合、やっぱり「ハチミツ」というお返しがあるわけです。ミツバチは「人を集める」というか、そもそも受粉する力があるわけで、「人と人とも繋げていく力もある」と感じています。
 さらに今、銀座の様々な屋上のビーガーデンで芋を植えています。数年前に植えてほっといたらたくさん穫れたんです。でもその採れた芋がキャッシュに変わらなければ、私たちの活動は継続できない。例えば管理を受けている施設の屋上で、草取りし続けていくとだんだん土が薄くなっていきます。そこで、「土を購入したい」と相談すると、「予算がない」となるわけです。灌水設備も壊れた時には、次年度の予算でと言われた時には、枯れてしまいますよ!と思わず答えました。
 つまり、ここから価値が生まれないと継続性がない。それで「芋焼酎をつくろう」となったんです。誰でも育てられるからサツマイモです。
 そのことをたまたま福岡県豊前市の後藤元秀市長に話したら「じゃあ、田中さんの夢を叶えよう」「僕の実家が酒造だから、焼酎つくろうよ」って。
ーハチミツの次は焼酎に(笑)。
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田中 さらに国税庁の元税務署長の方からは、「『銀バチの活動は良いので』応援してと、京橋税務署長に連絡しておいたから」ということで、気が付いたら酒販の免許まで取れました。
 ですから語り始めたら芋の栽培から一気に焼酎まで繋がりました。農家でもない人たちが農地でもない場所で芋を育て始め、最初は鉛筆みたいな、心細かった芋もスタリッシュな焼酎になって返ってくるのです。銀座ミツバチとしてはその芋焼酎を呑んでいただくと、少し肝臓の数値が高くなっても、資金が回りそのお金でどんどんプランターと土と苗を提供して配って、”芋づる式に”仲間が増えていくプロジェクトです。
 デパート、結婚式場、ホテルに大学、商社に福祉施設から金融機関など今では40団体に広がりました。
 そして大事なことは、毎月みんな電力さんにこの「銀座芋人」を購入いただいていることです!顔の見える関係がまさに実証しており、感謝申し上げます。
 芋を育てた人は芋人、これを飲んだ人も芋人、街中に芋人が広がる「”イモ”ジネーションをイマジン」するテーマです。
ー銀座ミツバチの多岐にわたる活動を伺っていると、それが再生可能エネルギーに繋がっていくのも自然かなという気がします。
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田中 実はベースには、2012年に立ち上がったエネ経会議(エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議)があります。これは当会館会議室の2階ホールから始まりました。その時にみんな電力の大石さんともお会いして、当時は純粋に「こういう考え方があるんだ」と新鮮でした。その頃、まさか当ビルがみんな電力に切り替えるとは思っていませんでした。
 でも、あれから毎年のように総会を開いていただいて、島根の風力や湘南電力、それが小田原のほうとく電力にも繋がって、そういう流れを伺ってきている中で、「やっぱり社会ってこっちの方向に行くべきだよね」という理解が深まっていったのです。

 

大都会の粋な街・銀座でも始まっているエネルギーの切り替え。最終回は4/9(月)の公開です

 

(取材:平井有太)
2017.11.8 wed.


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