2018.03.24 Sat.

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  「銀座ミツバチプロジェクト=銀ぱち」についての、お話である。
 舞台は、銀座と東銀座のちょうど中間あたりにある紙パルプ会館。何度も前は通っていたけれど中に入ったことはなかったし、何のビルなのか知らないのはもちろん、よもやそんな場所で養蜂が行われているということは、自分のアンテナにまったく引っ掛かっていなかった。
 蜂は、みんな電力のゆるキャラが「はちべえくん」でもあるお馴染みの存在であるが、そもそもは一般的に「持続可能な環境」の象徴として語られることが多い昆虫だ。ヨーロッパなどでは禁止されている、蜂を死滅させるネオニコチノイドという農薬が日本では今も普通に売っていることは、環境系の方々の間で話題になることが多いトピックでもある。
 その蜂を、誰もが想像だにしなかった、銀座の真ん中で育てるということ。
 そのことから見えてきた社会の在り方、そして電気との関わり方を、銀ぱち理事長、そして紙パルプ会館専務取締役である田中淳夫氏に聞いた。
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ー諸々取り組みをやられている中で、今日はエネルギーのメディアですので、そこに絡めたお話を伺えればと思います。
田中 震災翌年に紙パルプ会館会議室で、エネルギーから経済を考える経済人の会が発足しました。たまたま場所を貸している関係も有り参加させて頂いたご縁で、みんな電力の大石社長ともご縁頂きましたが、まさかここにきてお世話になるとは思いもしなかったです。
 昨年、松屋通親交会で同じ理事をしているサエグサビルの三枝さんが、電力を切り替えたお話を伺い、「高くなったんじゃない?」と聞いたら、「田中さん、少しだけども安くなったんだよ!」と聞いて驚きました。再生可能エネルギーに切り替える話は言葉では知っておりましたが、環境の為に高い電気代に協力するイメージが有りましたから。という事で、まずは「安くなったらいいな」という事です。
 2つ目の理由が、7年前の事故を経験して「原発はやっぱり怖い」と思います。
 私の自宅震災後、太陽光発電を乗せた後、エネファームも設置しました。かけた費用が回収できるのか分かりませんが、妻が震災後にどんどん手続きをして「これだけお金かかるから出して」と(笑)。
ー震災後、エネファームは実際にかなり伸びたようです。
田中 実際に家に導入したのは2012年でした。それまで絶対安全と聞いていたものが事故を起こし、更には計画停電まで実施されて私たちの生活を脅かすようになったことは青天の霹靂でした。
 実は私たち銀座ミツバチは2010年に農業生産法人銀座ミツバチも設立しました。農法人は農地が借りられるので、福島の皆さんから沢山耕作しない農地が有るので貸してあげるよ!と言われて畑5反部(50a)お借りしたのです。震災後に採れた農産物をしっかりと計って販売しようと思いましたが、売れませんでした。それ以上に悲しかったのは「そんなもの売らないで」とか「福島の農産物をうるのはテロリストだ!」と言われました。こうした体験を通じて「これは福島の皆さん、自分たちが起こした事故でもないのにとても酷だよな」と思いました。
 銀座で福島の生産者を招いてマルシェなどで販売して頂きましたが、お客さんが「りんごいいわね」と手に取られた後、「これは福島県産です」と説明したら瞬間に果物を戻されたと聞かされました。この時の生産者の胸の痛みは計り知れません。そうしたことをずっと見てきておりました。
ー福島にまつわる取り組みを多々されている。
緑町松明
田中 悪い事ばかりではありません。須賀川では400年続く日本三大火祭りの「松明あかし」では、銀座ミツバチの為に松明を一本あげてもらいました。外部にたてさせたことがない伝統的なお祭りで、町中にある五老山と言う公園の真ん中で30本もの巨大な松明を立てるのですが、そのうちの一本を外部の「銀座ミツバチ」として立てて頂きました。こんなことは震災でもなければ、あり得ないことだったと思います。当日は白装束を着て、御神火と言う松明をもって町中を走り回り、数千人も待つ会場に現れて8mもある松明に垂直に昇り口にくわえた松明を振りかざして口上を述べて最後に点火しました。
DSC_0014 松明あかし2
 福島市では、先ほどの震災前から借りていた農地を活かそうと、ソーラーシェアリングを計画しています。そのためにJA新ふくしま(現・ふくしま未来)の菅野(孝志)組合長に相談して「認定農業者になりたい」と相談しました。最初は「え、銀ぱちが認定なんて、笑っちゃう」ということだったんですが、応援もしていただき、ちょうど先日認定農業者にもなり、そして農地も借りるはずが購入する事になってしまいました。
 以前から農地をお借りしてきましたが、そもそもは震災前から課題があって、耕作放棄地が広がり、どこの地方でも広域合併に起因する問題と共に作っても売れない課題があった訳です。
 一方、私たちは単にハチミツを採るだけでなく、都心であっても銀座のミツバチのためにビーガーデンと称する「屋上緑化」を広げていこうと考えました。大きな建物を建てたら緑化しなければならない条例もあります。中央区としても「緑比率を上げる」と言う課題がありますので、一緒になって広めましょうとなりました。しかし、「インフラで助成金をいただいても、ランニングまでは費用がでない」ということで、せっかくつくられた屋上緑化の場所が、手が入らずに銀座の耕作放棄地になってしまっている現実が有りました。
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 そこで、私たちが管理している様々な屋上に、たとえば新潟から茶豆の苗を無料で1000ポットいただき、それを保育園児から小中学生、さらには銀座ですからクラブのママたちも参加して、時には着物姿で農作業するという展開が広がりました。こうして急速に繁華街である銀座の街から環境のメッセージが発信できたのです。
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ーそもそもミツバチは、持続可能な自然環境を考えた時の、ある意味で象徴かと思います。
田中 そんなことすらも、私は下町育ちなので分かりませんでした。当初はアブとミツバチの違いも理解できませんでした。
 当社は、テナントビルだけでなく会議室も運営しております。場を提供するのが仕事ですので、この街から「様々な情報発信をしていきたい」という事を常に考えておりました。
 それで例えば若手の官僚や学生たちと政策を学ぶ勉強会をしたり、医療福祉の勉強会とか、スイーツをひたすら食べる「東京スイーツクラブ」という会も集まってきました。参加すると16種類のチーズケーキを食べ比べさせられても最後はさっぱり味がわからなくて(笑)。
 それは丁度時代の変遷で、インターネット等を利用する新しいコミュニケーション手段が広がってきた時代とも重なっておりました。いろいろな想いを持つ人々がネットワークを持つようになって様々な発信をする時代になってきたということです。
   この集りの一つに食の勉強会がありました。それは全国からとんがった生産者や流通を変えようとしている方、想いがあるシェフ等を呼んで話のあとには、一緒に食べながら交流会をしていました。こうして次の講師を探しているときに、屋上を探している養蜂家の話が出たんです。
 「街中でミツバチ飼うなんて危ないんじゃないの?」と言ったら「ミツバチは巣箱から出て、直接花に行くから実は街の中でも飼える」という説明を聞いて、だったらその養蜂家に場所を貸したら、美味しいハチミツが場所代としてもらえるのじゃないか??と考えたんです。そして「屋上を貸してあげても良いよ」と返事しました。それが岩手県の養蜂家・藤原誠太さんだったんです。
 彼は屋上まで場所を見に来て「街中でやるんだから、途中で弱音吐かないで最後まで頑張れ」なんて言う。こちらも「あんたに『貸してやる』って言ってるのに、なんで自分でミツバチなんて飼うのか!」と返事しました。それが二転三転して何時しか自分でミツバチを飼う事になってしまいました。これがその後の大騒ぎの始まりでした。
ー世界ではミツバチを殺してしまうネオニコチノイドという農薬が社会問題にもなっています。
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写真は先日、日本工業倶楽部屋上にミツバチ巣箱を設置した時のもの

田中 まったくそんなことは考えていませんでした。当時はちょうどGINZA SIXができる前、松坂屋さんが前と後ろの2つのブロックを一つにして200メートルを超えるような高層タワーを建てるという計画が発表になりました。
 森ビルさんと組んで、人が食住遊、縦に動けば効率がいいし、銀座に足りないカフェや緑地も提供すると言う話だったんですが、高さとファサードを江戸時代から揃えてきた銀座の街にいきなり高層ビルをつくると、街が壊れてしまうとなりました。当社の2階ホールに300人くらいの銀座人が集まって、喧々諤々、議論が始まりました。
 結果的には銀座のルールに則って、56メートル+10メートル、計66メートルの高さに揃えた巨大な箱が今のGINZA SIXとなって誕生したのはつい昨年の事です。
 そういう話が2004年からあって、街の人たちは「私らがよくわからない人たちが動いてる」という反応でしたが、森ビルさんは世界でそういう開発をしてきているわけです。
 その時に、「紙パルプ会館の田中のところにはいろいろな人が集まっているようだから」と、銀座通連合会の役員でアップルストアが入居しているサエグサビルの三枝会長が、「ここで銀座の街を学ぶ勉強会をしないか」と提案してくださったんです。
 自分たち銀座人が「高層ビルは否定、反対」と言っても、自分たちだけでそういう話をするのではなくて、銀座が好きで、興味があって、消費していただく皆さんと一緒に学ぶ機会をもてないか。そしてその時に「変わるべきものももあるが、変えてはいけないものもあるはずだ」と。そういうことで『銀座の街研究会』を立ち上げました。
 銀座通連合会の三枝さんの他に竹沢えり子さん(現在事務局長)、法政大学の銀座研究で博士になった岡本哲志先生などが指導してくれました。岡本先生は、その後路地歩きを紹介したNHKのブラタモリで一気にブレイクしちゃいました。
 銀座の街を研究する上で「田中さんが会いたい人にはすべて会わせる」ということで「路地と銀座」、「通りと銀座」、「老舗と銀座」等のテーマが決まっていきました。
 さらには『銀座百点』を発行している編集長と「文化と銀座」について、銀座のバーやクラブが1400店も集まる団体(銀座社交料飲協会)とは「夜の銀座」と言うテーマで学びました。
 江戸時代から大火、震災、戦災を経て、建物は壊れても町割りはそのままなので、まさに街の中に近世、近代、そして現代が同居している銀座の街ができたわけです。
  この街には、日本人が生きてきた様々な歴史やドラマがそこここに記憶されているわけですよね。それらを学びながら、今まで気づかなかったすごく面白い街であることが分かりました。
 そういう事を学んだ後に、銀座でミツバチを飼い始めたのです。
 当初は、「何で銀座の街中でミツバチを飼うのか?」とか「刺されたらどうする」、「安全、安心の銀座の街でミツバチは如何なものか?」、「そもそも花が有るのか?」等々いろいろなお話がありました。
 しかし、私自身が飼うことになり「何かあればすぐやめます」という説明を通り連合会や町内会の会長、京橋消防署の役員していますので署長のところに伺い、中央区の環境課や助役さんのところへも挨拶に行きました。銀座の街中で養蜂するのに「隠れてやる」選択肢はありませんでしたので。
 社員には「いつも変わった人ばかり集めているが、今度はミツバチなんて」とか、「テナントに迷惑かけたら」と、まあ普通はそう言いますよね。だから自分が率先してやることで責任を持とうとなりました。
 声をかけたのが、会議室などに集まる銀座の街研究会や食学塾に来てくださっていた皆さんが「面白そうだ」とすぐに集まり、「銀座ミツバチ・プロジェクト」は始まりました。
 4月初めからソメイヨシノから始まり、週替わりに菜の花、トチノキ、マロニエ、ユリノキ、ボダイジュ、エンジュなど夏までに様々なハチミツが採れました。「環境と真逆」と思っていた銀座の街が、ミツバチを通して花の都のように思えてきました。
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目の前に皇居と東京駅が見える、なかなか普通ではありない養蜂場の風景

 ミツバチが飛べる範囲が3キロ四方と言われていますが、2キロ以内に皇居や日比谷公園、浜離宮、更には街中の沢山の街路樹といった恵みがあったのです。
 一方私は地方へ招かれて養蜂のお手伝いをしますが、かえって農村の方がミツバチが生きられない。「え、なんで?」という、そういうこともこの取り組みを通じて見えてきました。
 また、銀座でミツバチが飛んで、ハチミツが取れると言う事が沢山のメディアに取り上げられました。今では年間100本ほど新聞、ラジオ、テレビで取り上げられます。その中の1割は海外メディアです。CNN、ドイツ国営放送、フランスのテレビ、BBCは過去4回も取り上げられ、更にはアルジャジーラ、南アフリカテレビ、インド、パキスタン等。最近一番多いのが韓国や台湾です。
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ーてっきり銀座の「ミツバチ」は、どなたか環境意識の高い方が、その象徴として辿り着いたのかなと思っていました。
田中 そんなことあるわけないじゃないですか(笑)。全然違うんです。ミツバチは机の上で学んだ辿り着いたことではなく、まさに出会い頭だったんです。

 

大都会の粋な街・銀座で「環境」を考える銀ぱち記事、全3回の第2回は4/2(月)の公開です

 

(取材:平井有太)
2017.11.8 wed.


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