2019.05.20 Mon.

姫神ウィンドパーク5
「たはむれに 母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」
(石川啄木 「一握の砂」より引用)
「はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」
(石川啄木 「一握の砂」より引用)
 上記の二句は石川啄木が世に生み出した代表的な詩である。
国語の教科書などで一度は目にしたり、耳にしたことがある人もいるだろう。
 私も石川啄木の詩は国語の授業で習ったと記憶しているが、この二句を強烈に意識したのは、大学を卒業して新社会人となり、見知らぬ土地で営業ノルマに追われる日々を過ごしていた時期だ。
社会人としての洗礼を浴び、荒んだ心の隙間を埋めるが如く詩を朗読していた時期があった。時代を経て語り継がれる詩は、後世に生きる人々に生きるエネルギーを与えてくれる。
 石川啄木は明治19年2月20日に、岩手県盛岡市玉山区渋民にある常光寺にて生まれた。
啄木の父親がこちらの常光寺の住職であり、一年間をここで暮らした。
常光寺では、石川啄木の生涯の友であった金田一京助が揮毫した啄木の「生誕の地」碑を見ることができる。
石川啄木生誕地
 さて、私を石川啄木の詩だけではなく、生誕地にも出会わせてくれたのは
姫神ウィンドパーク」である。
姫神ウィンドパーク3
 「姫神ウィンドパーク」はエコ・パワー株式会社が開発した大規模風力発電所であり、2019年1月15日よりみんな電力に電力を供給している。9基の風車が設置されており、18,000kWの発電能力がある。
 見渡す限りの澄み切った青空と、
白い雲、白い雪、そして白い風車が目を楽しませてくれる。
どうやら盛岡の青空は人の心をひきつける引力を持っているらしい。
 「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心」
(石川啄木 「一握の砂」より引用)
姫神ウィンドパーク2
 石川啄木が何度も目にしたであろう姫神山南部の山麓に姫神ウィンドパークは位置し、9基の風車は年間を通じて主に南西方向からの強い風をとらえ電気エネルギーを生み出している。
過去何百年もの間、東北地方の人々の暮らしを悩ませてきたであろう風を、エコ・パワー株式会社は風力発電所を建設することで価値化することに成功した。そして、自然がもたらす風の恵みを最大限に価値化するために風車を山の麓に建設する。
当然のことながら、この目の前の風車は、空から突然降ってきたのではない。地上から山の麓まで、人間が風車を運ぶのだ。時には風車を運ぶため、そこになかった道路をつくる工事までもが伴うことになる。
地上よりも山頂の方が風の恩恵を受けられることは直感的に理解できる。ただ、それにとどまらず、姫神ウィンドパークは「ダウンウィンド型」と呼ばれる風車を採用している。これは、地面から吹き上がる風を効率よく受けて回る国内の独自技術の強みを活かした風車だ。山の多い日本の地形にはこの型が適しているらしい。
 風車に息を吹きかけ、羽を回す体験をした読者もいるだろう。すべての風力発電所も、羽の前面からの風を受けて回転するものだと私は勝手に理解していた。ところが、ダウンウィンド型の風車は羽の後面からの風をとらえて風車を回している。
この事実に驚くのは私だけではないだろう。
 私の人生においても向かい風ではなく、背中を押してくれる追い風(ダウンウィンド型)が吹いてくれないか、、
エコ・パワーの営業担当者からの説明を聞きつつ、私のこれまでの人生の順風、逆風に想いを馳せる。
まさに風任せな人生に意味を持たせようとするのが人間の営みなのかもしれない。
 自然の恵みを最大限に享受して、より多くの風力エネルギーを電気エネルギーに転嫁することに人生の意味を見出し、風力発電所の建設に携わった方々と自然界が生み出す風力に畏敬の念を感じる。
 姫神ウィンドパークの1基は羽根の直径約86メートル、支柱の高さは約78メートルの風車だ。
誰もがこの風車を間近に見た時、その迫力に圧倒されるだろう。
外観は直感的に価値を理解できる。
それは風力発電所でも人の容姿でも変わらない。
 その風力発電所の外観を語るだけでは、その人のイケメン具合や美人具合を語っているに過ぎない。
私は幸運にも風力発電所の内面を目にする機会を得た。姫神ウィンドパークの定期点検の現場に立ち会うことができたのだ。
定期点検3
 「風車の中はどのようになっているのか?」
この問いを発することができる人は、人生で素敵な人と巡り合うことができるかもしれない。
外観(容姿)は、風力発電所や人間の一面を見たに過ぎない。
 風車の中には作業員の方が乗る昇降機があり、昇降機の右隣には梯子がある。作業員の方とは姫神ウィンドパークの現場に足を運ぶ以前に事務所で挨拶をしたのだが、その時の作業員の方の顔の表情は一変していた。昇降機を昇るために機器の安全確認をする姿は、命懸けの任務をまっとうしようとする姿だった。
何度も何度も安全確認をした後、昇降機で作業員は上昇していく。
 私たちが普段何気なく使用する電気。
みんな電力は「顔の見えるでんき」をコンセプトに事業を展開している。
私が姫神ウィンドパークで出会った顔とは、文字通り命懸けで電力のメンテナンス業務を行う作業員の必死な形相だった。
 姫神ウィンドパークにて作業員が必死に見守り続ける電力は、人々に電力エネルギーを供給し続け、高度な文明社会を支える。
当該発電所は、平成25年11月に成立した「農産漁村再生可能エネルギー法」の理念を実現すべく、再生可能エネルギーの促進が地域の活性化と地域の農林漁業の健全な発展を図り、発電所地域への資金循環の役目も担う。
地域の一部の関係者に資金が循環するだけではなく、姫神ウィンドパークの近隣住人の一人でも多くの方が風力発電所の恩恵を体感してもらえるかが問われている。みんな電力がその一翼を担うことができれば幸いだ。
 姫神山を見て育った石川啄木は慢性の肺結核を発症した。啄木の闘病生活は、過酷を極めたという。命懸けで生み出した詩の数々は今を生きる人々に生きるエネルギーを供給し続けている。彼の生み出した詩が我々に語りかけてくる。悲しみと同居しながら生きるのが人生であることを。
 盛岡の大地は、風のエネルギーを供給し続け、
石川啄木の詩は、悲嘆にくれた人々に生きるエネルギーを供給し続ける。
どちらも持続可能なエネルギーだ。
風景

発電所までのアクセス道路として一ノ瀬岩洞湖線が整備されており、同線途中の天望山からは、盛岡市内・岩手山が一望できる

 石川啄木は東京都小石川区久堅町で肺結核の為永眠、享年26。
 石川啄木生誕の地である盛岡市と終焉の地である東京都文京区は地域文化交流に関する協定を締結しており、新たなつながりが生まれている。
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西田滋彦 みんな電力 事業本部 パワーイノベーション部

1980年千葉県柏市生まれ。立教大学社会学部でイノベーションを専攻。四輪車メーカーで「走る茶室」をコンセプトにした商品企画に携わりたいとの思いから入社。京都への出向を志願し実現するものの、いつの間にか営業ノルマに対する精神の摩耗を癒す神社仏閣巡りに終始することになる。その後、大阪ガスグループのマーケティング会社で「新市場創造型商品コンセプト」に触れる。外資系パネルメーカーでは創業1年目より8年間国内の再生可能エネルギーの拡大に努める。 再生可能エネルギーの恩恵をより多くの関係者が享受する仕組みの構築を目指し、みんな電力株式会社に転職。イノベーションの実現こそが最大の社会貢献という信念の元、再エネ発電所の電力を中心とした価値の仕入れ、および新たな概念の価値創出の実現に取り組んでいる。

ENECT、次回は新記事公開。日本が誇るESG投資のスペシャリストによる世界、日本のエネルギーの”今”をお伝えします

 

(取材・文:西田滋彦)
2019.05.20 mon.


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