2016.11.19 Sat.

  天王洲のユカ・ツルノ・ギャラリーにて、12月3日まで個展「Small Golden Suns」が開催中のホセ・パルラ(Jose Parla)インタビュー、全3回の2回目。
 今日の世界中の子どもたちの状況を懸念するのと同時に、子どもたちの存在を称える必要性を感じているパルラは、彼自身の鮮やかで想像力にあふれ、冒険のように自由だった子ども時代を常に胸にとめています。幼少期の経験から得たインスピレーションと、子どもたち一人ひとりがこの世界にもたらす創造的な魔法の大切さは、今現在も拡大しつつある、移民・環境・教育そして自由といった問題と向き合い、この地球規模の対話へと参加させています。
 作品制作の背景にあるものについて、迫りました。

 

jose

Courtesy Yuka Tsuruno Gallery

——あなたの作品は、様々な意味での「壁」をキャンバス上に構築してきたと理解しています。それは今も変わりませんか?
パルラ そうとも言えます。私は幼少期から壁を見てきて、いつもそこにある朽ちてる部分、欠けている部分に興味を惹かれてきました。そしてそれを、アブストラクト(抽象的)なペインティングとして捉えてきたんです。
 ある日、自分の目の前に広がる社会そのものがアブストラクトであることに気がつきました。まるで壁の落書きを誰かが消して、それでも消し切れずに部分的に残り、そこにまた錆が付くような、そんな様子が現実社会そのものであるように見えたんです。
 例えば、人種差別はアブストラクトです。今アメリカで蔓延する警察の暴力、そして貧困もそうです。なぜ地球上には全人類に行き渡っても余るほどのお金があるのに、貧しさで苦しんでいる人がいるのでしょう?それもアブストラクトです。別の言い方で、不均衡とも言えます。
 小さな頃から眺め続けた近所の壁に、辛い時を送っている世界の人々の人生が見えました。そして「人生とはアブストラクトなものだ」と理解しました。その世界が見えないのは、一生困ることのない富をすでに持っている人々です。ただ、それを言い切ることもできません。巨額の富を持っていても、消せない悲しみや解けない問題を抱えてる人たちはいます。
 そんなことを幼少期から考え、抱えてきたことが、自分自身を制作に駆り立てます。形式上はアブストラクト・ペインティングですが、それは同時に、どこか実在する場所の欠片なのです。コンセプトは「リアリティと抽象性を共存させる」ということで、その意味で、僕の作品は壁であると同時に抽象画なのです。
 そこには常にカリグラフィーとあらゆるライン、マーキングが添えられています。私の基盤にはエアロゾル・アートがあり、それを培った言語への興味と文化への敬意と共に、意図的に継続させています。ですからそれも、私を育んだアンダーグラウンドな世界へのメッセージでありながら、その外の世界の住人で、作品に興味を持ってくれるあらゆる人々への言語にも転換されています。
——作品に描かれた文字には、すべて意味がある?
パルラ その通りです。描かれている文字は一部スタイルとして装飾されていますが、すべては言葉で、読むこともできるし、意味ももちろんあります。
——何をそこに描くか、どう決めるのですか?
パルラ それはその制作時期、私が人生のどのようなフェーズにあるかに関係しています。
 今回のショウは、一番大きな作品のタイトルと同じで、「Small Golden Suns(小さな/黄金の/太陽たち)」といいます。他の作品には「Play」、「Time」や「Light」という、シンプルな、子どもにも伝わるタイトルが付けられています。
 「Small Golden Suns」には2つの意味があります。
 まず、今回のショウは日本で開催され、この国は「日いづる国」として知られていること。また、「子ども」が重要なキーワードとなっています。それは、私たちがいくら成長して大人になったつもりでも、結局は常にこの壮大なユニバースの子どもであり、学び、成長を続ける存在だからです。
 私たちはとても小さく、そして輝いています。ある人は輝くこと自体を恐れ、恥ずかしがって隠れているかもしれません。または逆に、自ら前に出て眩しく輝く存在もいます。たくさんの意味がそこにありますが、「自分自身を認め、開いて、輝こう」ということです。喋ること、解放することを怖がって避ける人がいますが、せめてその点に関する議論のきっかけになればと願います。
 もっと言えば、背景にあるのは教育であり、さらには「恩返し」です。私たちには教育を受ける権利がありますが、それに対して学んだもの、会得したものを返す義務もあります。それを担えないのであれば、私たちは社会における役割をまっとうしていないと言えるでしょう。ここで手段や方法は問いません。誰でもが、それぞれできることで社会に貢献できればと思います。
 このコンセプトに辿り着いたのは、例えば病院にも行けない、貧しい子どもの家庭を支援するファンドレイジング・プロジェクトなどに参加する経験からです。アート・クラスに講師として参加したり、私にとって「子ども」は、おのずと大切なテーマになりました。

jose

Courtesy Yuka Tsuruno Gallery

——個人が「輝く」のは、団体行動が重要視される傾向が強い日本では、難しいことかもしれません。日本の文化についてどう思いますか?
パルラ 10年以上前に初めて来日した時、そしてこれは今でも、日本語ができない欧米人として日本に来ると、まず巨大な、NYの10倍はあろうかという都市のサイズに驚かされます。
 しかも東京のほとんどの場所は清潔で、すべてがとても整頓されています。それをニューヨーカーとして、アメリカ人として目の当たりにして「教育水準の高い、豊かな国」という印象を受けます。それに次いで食文化、礼節、ホスピタリティで、この国の素晴らしさを痛感します。騒々しくて、ゴミだらけで汚ないニューヨークとはまったくの別物です。
 繰り返し日本に来ることで、もちろん今でも感心することは多くあるわけですが、だんだんと社会の暗部が見えてきます。例えば行く地域によって格差、貧困や、所得差を感じます。でも、それは世界のどの街にでもあることです。  アートに関して、日本には、日本人であることを強いメッセージとして活躍する若いアーティストはもちろん、世界的に活躍する存在もいます。同時に国内には東京、大阪のメジャーな美術館、直島、金沢の二十一世紀美術館などなど、各地に素晴らしいコレクションが存在します。ゴッホやピカソが当り前にコレクションされている。私はそういった状況を目の当たりにするにつけ、日本に「歴史の深さ」を感じます。
——今日本は、自ら進んでアメリカを追いかけているようにも感じます。
パルラ 確かに、自らアイデンティティを捨てようとしているところはあるかもしれません。
jose

ホセ・パルラ/Jose Parla

パルラは1973年マイアミ生まれ。サバンナ美術大学とニューワールド・スクール・オブ・アーツでペインティングを学び、現在はブルックリンを拠点に活動しています。これまで国内外での様々なパブリック・プロジェクトに取り組んできていますが、近年ではニューヨークのワン・ワールド・センターのロビーに設置された約27メートルの大規模な壁画や、バークレーセンター(ブルックリン)の壁画、第11回ハバナ・ビエンナーレでのフランス人アーティストJRとのコラボレーションプロジェクトなどが大きな話題となりました。最近の個展に、ハイ美術館(アトランタ)、メアリー・ブーン・ギャラリー(NY)、ブライス・ウォクコヴィッツ・ギャラリー(NY)、ハウンチ・オブ・ ヴェニソン(ロンドン)などがあります。パルラはジャクソン・ポロックやジョアン・ミッチェルのようなアメリカの抽象表現主義の系譜を引き継ぐ作家として世界的な注目を集めており、国際社会におけるアイデンティ、マイグレーション、イマジネーションなどをテーマにした大型作品を中心に活動しています。

 

(取材:平井有太)
2016.11.18 fri.


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