2016.09.05 Mon.

  オノ・ヨーコをメインアクトに、内田裕也、CAROL、沢田研二、かまやつひろし、シュガー・ベイブ、サディスティック・ミカ・バンド、クリエーション、外道等々、錚々たる面々が集結した「ONE STEPフェスティバル」。
 当初5日間の予定だった日程が10日間になるなど準備から波乱続きだったが、自然保護、環境保全への意識に来場者を促し、「地球を取り戻す」ことを目的とした祝祭を、佐藤氏は成し遂げた。当時すでに抜群の人気だった横尾忠則氏が手掛けたポスターも、「ヨーコさんが出演するのであれば」と、快諾してくれた。
 フェス最後のステージ、ヨーコさんのメッセージが胸に響いたという。
「一人で見る夢は、ただの夢にすぎないが、みんなで見る夢は実現できる」。
 佐藤氏が生きていれば、電力が初めて自由化されたこの社会で、どんな夢を見て、どんな生活を営んだろう。

 

sato

——「ウッドストック」を観た方はたくさんいたはずです。その中で、なぜ三郎さんが動きだし、実際にイベントを実現できたんでしょう?
佐藤 やっぱりね、想像力を掻き立てられることが堪らない喜びなんだよね。
 その発端はきっと、7人兄弟の真ん中に育ったこと。上を見て、下を見て、それも男と女だから「みんなを見てる」ということなんです。それは実は、街も国も見ていることで、そこを崩す必要はないわけ。
 でも自分が、「このままじゃ日本は大変なことになる」と思ってやってきたのは、今を見ていると、間違ってないような気がする。だから、「宝物はオレが見つける」って。
 日本人が日本人に生まれたのは何か理由があるんじゃないか。
 それを考えもしないで外国かぶれして、そういうことをやって国際人になるんだったら、その前に日本人になって欲しい。でも、そういう話をしたってどうせ治らないから、今オレは「そういう会話」を楽しむ。せめて「言うことが大事だな」って。
——常にメッセージを投げかけ、意識をそこに向かせて、考えさせる。まさに「文化の力」ではないかと思います。
佐藤 オレは、人にいくら「そんなのお金にもならないのに」って言われても、人間はお金とかモノばっかり受け入れるだけで、「何か『冷たいモノ』も一緒にもらっちゃったな」と思っているのね。
 話を聞いて「ああだ、こうだ」言う前に、最近は一つでも一番簡単なことでいいから、「実際にやった結果の話をしてよ」と言うようにしてる。それをやらなかったら、「この人が次の世代をお世話する人にはならないんじゃないかな」って。
 考えると、産んでくれたお父さん、お母さんを一番大事にすることを忘れてしまったがために核家族が一気に爆発して、みんなそこを問われても、何をすればいいかがわからない。介護施設や老人ホームばかりが流行って、影では葬儀屋が大繁盛。そういう死に際のところにまで親子の断絶が起きている。
 そうこうしてるうちに、オレも昭和13年生まれだから「もう時間がないんだな」って。精一杯、後ろめたさなく、そこは今考えると「ONE STEPフェスティバル」は、「お前しかいないんだから、やるだけやってみろ」って、親父が後押ししてくれたのね。
 「ダメならダメで、借家住まいでも何でもいい」って、結局仮住まいは実際に10何年やったんだけど(笑)。
——借金は無事返せたんですか?
佐藤 いや、今でも苦労ですよ。でも、それでお金に執着ってつもりはまったくない。代わりに、天上界で喜ばれる役割を与えてもらえれば、たぶんこれだけ荒れた時代になったら、何か必要なことが押し寄せてくるんじゃないのかなと。むしろそれを受けとめて、やれる身体をつくっておかなきゃって。
——「ONE STEP」というタイトルも「まず、やってみよう」という気持ちの表れでしょうか?
佐藤 「ONE STEP」は自然に、「ミニコミのタイトル何がいい?」ってなった時に「一歩、一歩」ということで、最初は「ONE STEP & ONE STEP」だったの。それが何号かつくる中で、「ONE STEP」に落ち着いて。
 そこから版型を少しずつ変えながら、つくったのは100号じゃきかないな。

sato

——すごいエネルギーです。
佐藤 オレは大学行かないで丁稚奉公してたから、同世代は学生運動をやってたけど、「文章書け」なんて言われても日本語もちゃんと書けない(笑)。それでも身体でね、できることをやるのがいいんじゃないかって。
 こういう状況で、「もうダメだ」って言いながら、はっきり「和に転じる」計画をたてて、今年は猿之助さんが来てくれた。それも着物を着ながらじゃない素踊りをしてくれて、それはすごく貴重なもので。
 その前は、尺八と三味線なんかの大物の方々14名にも来てもらいました。それも皆さんの心意気に助けられて、実現して。今度は2月に補助金を少しもらえることになり、決めたのは沖縄の人間国宝の第一号、三線の照喜名朝一さんです。
——今もやられていることが、お変わりになっていない(笑)。
佐藤 欲をかかなければ、何でもできますよ。むしろ「これで儲かりそうだ」なんて言うんだったら、絶対やらない方がいい。僕はラッキーにも、商売人としての立場から、こういうものに目を向けられるチャンスがあったということなんでしょうね。
 そして、今は「震え」もきます。
——それはイベント企画の喜びから?
佐藤 これからの若者が、「こんな日本の中に放り込まれて大丈夫かな」と思うと、不安が募って寝られなくなってくる。でも酷いからと言って誰も手をつけないんでは、本当に日本沈没だから。誰もやらないんだったら、「ヒントを与えるくらいだったらできるんだじゃないか」って。
 オレはね、ウッドストックがあって「ONE STEP」をやったけど、常に「日本の中でできることが必ずある」と思ってるの。ただそれには、「自分のことなんか関係ない」というところに一旦身体を置かないとダメなんだって。

sato

——ヨーコさんの言葉を知ってから、実際お会いするまでは大変だったんですか?
佐藤 楽しく会いに行きましたよ。
 東芝EMIの石坂敬一さんがとってもいい方で、「ONE STEPの祭がやりたい。だけどお金はないんです」と伝えつつ、「ヨーコさんにお会いして、直接話はしたい」と。すると「わかった。本当に行くなら、僕もこの間にNYにいるから」ということで指定された期間、セントラルパークに9日間いました。
 最後の日の夜に電話があって。行った先にはジョン・レノンもいたから、あれはスタジオだったと思うんだけど、挨拶させてもらいました。玄関で40分ほど話して、「あら、いいわね」と。「大変だろうけど、いい企画だから、私は即決でもやりたい」と。「でも、間に色々と人がいるから、根回しの時間をくださいね」と。
 それが年を超えてすぐ、NEW MUSIC MAGAZINEの取材で内田裕也さんがNYに行って、そこから一気に火がついたんです。
——そこに横尾忠則さんも加わった。
佐藤 「横尾さんは、ヨーコさんと仲良しなんだよね」というのが聞こえてきて。それで横尾さんのスタジオに行って、結構長々と話してたら、「君に本当にできるのかな?」って。
 ポスターを描いて欲しくて、「お金はないんだけど」と伝えたら、「ヨーコさんを連れてきてイベントをやるんだったら、描きますよ」と言ってくださって。だから、これはものすごく貴重なポスターだと思っています。

sato

*佐藤三郎さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。また、本稿掲載のご許可をくださったご家族に、最大限の御礼を申し上げます。
 何ごとも前例ないことを実施し、道なき道を切り拓くことは、大きな力を要します。今や当り前にそこにあるように感じる文化の力、まさにパイオニアである三郎さんが一生をかけて私たちに伝えようとしたメッセージと、改めて真摯に向き合う時が「今」ではないでしょうか。
 ありがとうございました。

 

(聞き手:平井有太)
2016.09.06 tue.


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