2016.10.22 Sat.

  みんな電力は、この夏20周年の節目を迎えたフジロックに参加してきました。ブース出展したのは、WHITE STAGEとFIELD OF HEAVENの中間に位置する「NGOヴィレッジ」。
 すぐ脇には約1000人収容、ステージから至近距離でアーティストの息づかいまでもを感じられるGypsy Avalonがあります。開催前から話題だった元SEALDsの奥田愛基氏に、遠藤ミチロウ氏や加藤登紀子さん、細美武士氏(the HIATUS)などが登場されました。
 参加して気付いたのは、ともすればお目当てのアーティストを追いかけて存在すら見落としがちなNGOヴィレッジが、実はフジロックの大事な姿勢を体現する拠り所としてそこにあること。
 長年NGOヴィレッジの担当を務められ、今回みんな電力を招き入れてくださった、グリーンアップル代表・中島悠さんに話を聞きました。

 

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渋谷は美竹公園脇にかまえる、グリーンアップル事務所にて

——今回、みんな電力はフジロックに参加させていただきました。体験を通じて、ある意味初めて「NGOヴィレッジ」を知りました。
中島 もともと僕は高校時代、学園祭実行委員長をやっていたんです。その時、ごみがたくさん出て汚かったんですね。終わった後に学園委員で片付けるのがすごく嫌だったので「ごみ箱をたくさん設置しよう」、「大きいごみ箱にすれば分別すればリサイクルもできるようになる」と色々考えたんです。
 そこで、「ごみの分別・リサイクル・ボランティア」で検索したら出てくるのが「A SEED JAPAN」という団体でした。そこが1997年頃、レゲエ・ジャパンスプラッシュとか当時の野外音楽イベントでごみの分別をしていたんです。まずそこにオファーして、ごみ箱をお借りしました。そこからのご縁で、大学生になったら、A SEED JAPANにボランティアで参加するようになりました。
 私がボランティアで参加した1999年当時は、フジロックも苗場に会場を移したり、翌年以降、サマーソニック、ライジングサン・ロックフェスティバルがはじまったり、ちょうど夏フェスが立ち上がる頃でした。と同時に、フェスのごみ問題やリサイクルについても「とても大事だよね」という意識が醸成される、その創世記に携わることができました。
——それが中島さんの原体験。
中島 それを4年間やって、その後大学を卒業して会社員をやった後、代々木公園で今も続いているアースデイ東京の事務局長を5年間やりました。アースデイ東京の事務局長時代は、フジロック関係者に助けてもらったりしながら、イベントをつくってきました。

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「音楽に政治を持ち込むな」と開催前から話題だった、解散してしまったSEALDs・奥田愛基氏。津田大介氏の司会

——伺っていると、高校生の時の想いから自然と今に辿り着いていて、逆に言えばよく聞くような、「世界の環境問題を知って」といった流れではない。
中島 そうなんです(笑)。昔からのお祭り好きが高じて今に至っています。せっかくお祭りをやるのであれば、きれいなところでお祭りをした方が楽しめますよね。そんなところからごみ問題や地球環境にも関心を持ち、具体的に取り組み、自分のライフワークになっていきました。
——そういった姿勢が、中島さんがフジロックに携わるきっかけにもなった。
中島 フジロックが、最初の年に台風で中止になった時、ごみ問題や参加者のマナー問題が大きかったと思うんですね。自然の中で開催されるので、参加者には事前から準備してもらわないと大変です。
 まず大事なのは、参加者の皆さんにしっかりと準備してもらうこと。お客さんが自分でちゃんとした靴を持ってくるとか、上下別々のカッパを持ってくるとか、事前の準備が大切です。アウトドアメーカーと一緒に、「フジロック、ちゃんと準備をして行こう」というキャンペーンを行っています。

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日本の伝説のパンクロッカー、STALIN・遠藤ミチロウ氏のソロライブ。氏は福島県二本松市の出身

そしてもう一つが、ごみの問題です。結局「ポイ捨てをなくす」には、誰かが拾ってあげてしまっていると「拾う人がいるから捨てる人もいる」という負のスパイラルに入ってしまう。つまり、誰かが捨てて誰かが拾うのではなく、お客さんに「自分でごみ箱に持ってきてもらう」ことが重要なんですね。
 それを考えると、ごみ箱の数よりも、「わかりやすい場所」に「大きいごみ箱がはっきりある」ことの方が重要なんです。A SEED JAPANが果たした役割も大きいと思います。
——それを、フジロックに携わりながら学んだ。
中島 日本人はマナーがいいのでそもそもポイ捨てはしません。でも、入りきらないごみ箱のまわりにきれいに置いたり、ごみ箱がないとトイレの端にペットボトルをきれいに並べたり、そしてそれがだんだん山盛りになっていくのが、ごみが溢れる理論なんです。
 だとしたら「山盛りになっても溢れない大きいごみ箱」を、「誰から見てもはっきりわかる場所に置くことが大切」ということで、フジロックではあのスタイルでやっています。
——社会人になるタイミングとフェスの始まりが重なって、一緒に成長してこられた印象です。
中島 フジロックも、大学生になるタイミングで開催場所が苗場に移ったり、いい時期に携わらせていただいたと思っています。
 A SEED JAPANで活動していたときは、環境省の委員をやらせていただいたり、アースデイ東京の事務局長も2010年までやらせていただきました。どの企業もCSR、社会貢献などに積極的な時期でしたので、色々なアクションをすることができました。とても勉強になったし、多くのネットワークも出来ました。
——フジロック自体、大自然の中で実際に経験を重ねながら、イベントとして成長していったように聞こえます。
中島 フジロックのコンセプトは「自然と音楽の共生」です。大自然の中でフェスをやる上で、主催者が環境にしっかり配慮するということは、主催者としての責任。主催者の責任として様々な環境配慮をおこなっています。
 ごみのことや、エネルギーのことだったり。NGO、NPOに活動スペースを提供をその一環です。活動は繋がり、広がってきています。

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ヴィレッジから降りてすぐのWHITE STAGEにて、宇多田ヒカルのニューアルバム参加でも話題のラッパーKOHH

 

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レゲエのレジェンド・ギタリスト、アーネスト・ラングリンのステージはドラムにトニー・アレン、サックスにコートニー・パインと超豪華

——NGOヴィレッジの担当になられてからはどうですか?
中島 担当は2007年からです。NGOヴィレッジだけではなく、環境への取り組みを色々と行ってきています。フジロックでは2005年からエネルギーに関しての取り組みを本格スタートしました。「クリーンエネルギーを使っていこう」ということで、軽油からバイオディーゼルに替えたり、一部で太陽光パネルを使ったりしてきました。
 もう一つはフジロックの出演者の多くが海外から飛行機に乗ってやってくるので、その移動にまつわるCO2をオフセットしていました。ただ、フジロックの会場は大自然の中で囲まれているので、「もっとフジロック会場周辺で何か出来ないのか?」ということも模索してきました。そうしたら、新潟県から「地元の森づくり活動を一緒にしませんか」とお声掛けいただき、新潟県と湯沢町、苗場の皆さんと共に「フジロックの森プロジェクト」立ち上げ、地元の森林保全活動をスタートしました。
 まず「手入れされず放置されている林地残材で、搬出費用を負担して紙を作りました」と。その紙を「フジロック・ペーパー」としてフジロックのフライヤーやフリーペーパーに使ったり、協賛メーカーに使っていただいたりもしました。さらにその販売費用の一部を森づくりに還元し、循環させて「フェスをやればやるほど森林保全が促される」みたいな仕組みをつくりました。
 他にも、フジロック会場でお馴染みの、森林の中をバリアフリーで歩くことが出来るボードウォークがあります。そこは毎年、冬の積雪で、ボードウォークが雪の重みで壊れてしまうので、定期的な修復が必要。フジロック来場者の皆さまにも参加いただいて、苗場の皆さんも一緒に、ボードウォーク修繕するキャンプイベントを行っています。
——NGOヴィレッジの出展団体のモチベーションや意志の疎通といったあたりは、いかがですか?
中島 出展団体は、何組かは毎年出ている方々もいるのですが、基本的には定期的に循環するようにしていて、なるべく新しい、予算規模が大きくない団体に参加していただくようにしています。
——ヴィレッジには何人くらい訪れますか?
中島 1日3000人から5000人と、全体の1割くらいです。

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——出店は何団体ですか?
中島 毎年、約12団体です。参加団体で定期的に集まってミーティングを重ねて、ブース内容や協働企画などを相談しています。
——今回みんな電力をヴィレッジにお誘いいただいたのは、中島さんの判断だったんでしょうか?
中島 今年は、電力自由化の初めての年です。フジロックに来る方々が共感して「いいな」、「私も家に帰ったら電力替えてみよう」、「電力自由化って重要だよね」といった想いを持ち帰っていただけたらと思いました。

 

中島さんのお話は次回、もっとフジロックとエネルギーの関係にクローズアップしながら、続きます。

 

(聞き手:平井有太)
2016.10.22 sat.


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